都の尖閣購入計画に対し、早速中国から民主党政権に指導が入ったぞ!

2012/04/19 14:37

 

中国共産党は、巨大化した軍事力と歪んだ経済発展を背景に、中国の有史以来最大スケールで中華思想実践の時代に入ったと考えている。 

 

世界が自分達の庭と考える中国共産党にとっては、隣国が国境を主張するだけで癪にさわる。 ましてや隣国が主張する領土内に資源があれば、

 

「隣国がいずれその資源を基に国力を増し、中国を脅かす可能性があるので、“中国を守るという核心的国益” のために、その資源は中国が確保する必要がある。」 

 

などのように、 “なんでもアリ” の屁理屈で侵略を正当化させる。

さて、尖閣を東京都の石原知事が購入を決めたと発表後中国外務省の劉為民報道官は4月17日、石原知事が明らかにした尖閣諸島購入計画について、

 

「違法かつ無効で、釣魚島(尖閣諸島の中国名)が中国に帰属するという事実は変えられない」

 

と、どこまでも史実を曲げた身勝手な談話を発表した中国の反応は、いつものことだが・・・・・

野田首相は18日午前の、衆院予算委員会集中審議で、東京都の石原慎太郎知事が尖閣諸島の一部を買い取る意向を表明したことに関し、

 

「所有者の真意をよく確認し、あらゆる検討をさせていただきたい」と述べ、国有化もあり得るとの考えを示した。


などと、まるで 「どこの国の話し?」 と思えるほど、とぼけたコメントをしていたが、中国としては、何としても東京都にではなく国に買い取らせ、

 

今のうちに民主党政権から、尖閣諸島の無期限・無償使用権を取り付け、勝手放題の実効支配が狙いだろう。


尖閣諸島を民主党政権に買い取らせるのは、中国の指導を丸呑みさせる最悪の選択になる。

 

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政府、民主党の言葉がおかしのは確信犯だから

2012/04/16 10:10

 

何かにつけて国民感情を逆撫でする言動に終始する政府や国家反逆者集団の民主党に、「身震いするほどの嫌悪感を感じる」人も多いと思う。

福島原発でSPEEDIの予測結果を知っていながら、公表しなかった管直人。

今回の北朝鮮のミサイル発射と失敗を、リアルタイムで知りながら、北朝鮮に配慮してすぐに発表することなく、J-ARART(早期警戒通報)でもあえて何も伝えず、後に 「すぐに伝えなかったのは、国民がパニックにならないためのものであった。
と、メディアを通じて言わせていたが、これは言い換えると、「野田政権は明確な意思をもって、イザ事が起きた時には国民が犠牲になっても構わないという姿勢だった」 ということ。

それと、民主党政権で次々と登場する国務大臣に対し無能と非難する声も多いが、民主党にすれば、
どっちみち「こんな国壊してしまえ!」が目的なんだから、まともに説明する気なんか無いのだし、

 

「意味なんて、どうでもいいんだ! とりあえず何か言っておけ。 同じこと繰り返しておけば、そのうち相手が諦めるよ」

 

民主党政権の回答原則。

しかも、民主党の本心は限りなくラディカルな反日派なのだから、日本国民なんてまたいつでも騙すことが出来るし、黙らせる事だって出来ると考えているので、こいつらに説明責任なんて言葉は存在しない。


小沢、鳩山、管、野田、そして数え切れない、出ては消える大臣連中も全員が
「意味なんて、どうでもいいんだ。 とりあえず、何でもいいから言っておけ」が基本姿勢。

 

違いますか?

これをわかっていながら、自民党もいつまで国会で「野田政権こきおろし劇場」やって喜んでるんだ! 

 

国会でどんなにドサ周り劇団並みの見得をはってみたり、ヤジをとばしても確信犯 民主党には、何の痛手にもならないし、苦にもならない。

こういう、ほとんど「てめら~、人間じゃあない」、言葉が何の抑止力として通じないやつらは、徹底的に政治の舞台から引きずり降ろす以外には無い。

 

国民は、ラディカルな反日勢力に対抗するにはラディカルな解決法以外に道はないことを知って、その準備に入らなければならない。

民主党議員、社民党議員、下地幹郎をはじめ、恥知らずの国民新党居残り6人組みを引きずり降ろすこと。

 

それと、こんなみっとも無いやつらをのさばらせた亀井静香さん、たった8人の政党さえまとめられないあんたにはもう政治家は無理だ。 引退したらいい。

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自分で逝くタイミングを決断する時代

2012/03/14 10:06

 

先月10日、アメリカの友人の妻が亡くなった。

彼女は友人より3歳年上の75歳。9年前、癌治療の抗がん剤投与や放射線治療と相まって発生した、続発性免疫不全症が死因である。

ただ、彼女の場合はその逝き方が、とても衝撃的だった。

友人は、マイクロソフトで80~90年代エクセルなどの初期開発にかかわり、退職後はマイクロソフトのテクニカル・ライターのインストラクターを勤めるなど、申し分のない実績と、資産家の家系につながる者として相応しいライフスタイルを、マイクロソフト本部の隣町にある高級住宅地で続けていた。

亡くなった妻とは、52歳の時に再婚。ドイツ生まれの彼女は小柄だけど、快活で彼の生活をとても楽しいものにしてくれた。

9年前、彼女へ
の癌宣告以来、それまでの人生が激変する。

癌は2年ほどで押さえ込む事が出来たものの、治療中に発生した重度の症状を伴う続発性免疫不全による予測不能のタイミングで入退院を繰り返すことになる。

彼は、退職後もそれなりの収入もあり、彼女も
メディケア(高齢者向け医療保険制度)で基本的な医療費はカバーされていたが、複数の治療と保険対象外の投薬を同時進行的に継続しなければならない難病には、蓄えもほんの僅かの助けにしかならなかった。

それでも、2009年までの6年間は、それまでの蓄えと、家を担保にしたローンで持ちこたえていたが、2010年ローン返済に行き詰り自宅を失う。

高齢者専用の安いアパートに移るも、彼も70歳となり、それまで続けていたテクニカル・ライターの仕事も皆無となって、唯一の収入は、年金のみ。 

彼の年金収入だけでは、妻の薬代を払うと生活費がほぼ無くなる。 オンライン大学の試験の添削アルバイトを始めるが、なかなか仕事が回ってこない。

この年、彼は心因ストレスも重なり狭心症で倒れ、2度目のステント (DES) 治療をうけます。

この時より、生活保護を受け始める。

昨年には彼も持病の狭心症に加え、ストレス性免疫異常となり、ほんの僅かなすり傷でも化膿し、全身症状になるなどのストレス症候群で悩まされるようになる。

そのような状況下で迎えた2012年の1月初旬、彼の妻は彼に対し
「ここまであなたは充分に私に尽くしてくれたから、これからは、あなたが自分の人生の始末だけに集中して欲しい。 今手許にある薬を飲んでいる間に、あなたに手伝ってもらって身の回りの整理をするから、新しく薬は買わないで。」
と言ったそうです。 
彼女にとって投薬を止めるのは、死を意味する。

私は1月下旬、彼の家に電話を入れています。 

彼だけでなく、彼の妻とも話しました。 彼女はいつもながらの強いドイツなまりの英語と、力強いしゃべりで、「彼は今だって私よりコンピューターの方が良いのよ。 毎日コンピューターの前にいれば幸せな人なんだから。」 と朗らかでした。

私と電話で話していた日、彼女は既に“人生との決別” をする覚悟が出来ていたのです。 私にそのことを微塵も感じ取らせないほど、みごとな覚悟でした。

その2週間後、彼女は自分の意思を変えることなく旅立ちました。

全てを失ってもどこまでも支える事が夫の務めと言っていた彼が、妻の覚悟を受け入れるまでには、彼自身どのような葛藤の日々だったのだろうか?

いくら友人でも、この事だけは聞くわけに行きません。

彼は今ひとりになっても、生活のための戦いは続きます。

彼の妻の葬儀こそ、いつも通う教会が経済的な事情を理解しており、全て教会が執り行ってくれました。 でも、小口の借金もかなりあります。 自分の持病もあり薬が必要です。生活費を稼ぐための仕事探しをやめるわけにはいきません。

妻を失った72歳の友人は、今あらたな人生へのチャレンジが始まりました。

アメリカで平均以上の生活をしており、その上、社会保障や、医療保障、高齢者向け医療制度をすべて利用しても、現在の医療保険システムの限度を超える難病や長期の治療を必要とする病気になった時には、これほど簡単に(命もふくめて)全てを失う事になります。

友人によると、知り合いに脳腫瘍の妻を救うために日本円で2億円以上を使ったが、救えなかった人もいるとの事ですが、彼の妻のように、“家族の生活基盤を守るために” 自分の逝くタイミングを自分で決める時代が近づいているのかもしれません。

これまでの医療保険態勢を維持する事が困難になってきているスウェーデンなどヨーロッパの国々は、国別に事情は異なるにせよ、予約制により診療までの待機時間を設け、一般診療は看護師による事前アドバイスに従った措置を患者本人が行ったうえで、改善が見られない場合だけ診療を受ける事が出来るなど、いわゆる診療費負担の先延ばしを行っています。 

さらに、以前見た資料では、医療保険制度の維持のためにスウェーデンだったと思いますが、治癒の可能性の無い患者に対し、医師、家族、教会の牧師、地域のソーシャルワーカーがチームを作り、治療の打ち切る時期についてのカウンセリングを患者に対し行うことも、テストケースとして行われているようです。

つまり、早く治療を切り上げることで、国の医療費負担を軽減させ、制度の継続期間を少しでも先に延ばすという考え方です。

これは、アメリカでの統計ですが、一般医療保険加入者で重症となり死亡した患者は死亡前の60日間で全治療費の12%を使い、 65歳以上の高齢者医療制度利用者では、死亡前の60日間で全治療費の28%を使っています。

また、いずれのケースも、死亡前の30日間に全治療費の40%を使っており、死亡前1ヶ月以内に医療費が集中していますので、この期間前に、患者の同意を得て治療を中止する事ができると、計算上では、膨大な医療費の削減につながります。

今のヨーロッパの論議は、この 「60日」 は国の医療システムを継続させるために、本人の納得を得る事が出来れば治療を切り上げていいのか、それともこの60日は「人間としての尊厳」として守るべきなのか、にあるようです。

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B層がダメなら、A層はどうなんだ?

2012/02/08 16:05

 

ブログ上でも最近再び「B層」という言葉を見かけるようになった。


2005
年、“先進国では、こういう調査は絶対できない” とおもわれる、冗談のような差別的報告書が多くの税金を使って行われていた。

その時の内容は、国民をA から Dまでの4つのグループにランキング分けしたもので、しかもそのランキングの基となるのが、職業やその時々の生活内容からステレオタイプ的にIQを推察し、極端な話、「生活が貧しいものは、IQも低いにちがいない」的な、報告書とは呼べない、差別的・前時代的内容だった。

 

今改めてウイッキペディアで見ても、まとまった説明をしている人がいないのも、そのような背景からであろう。

しかし、最近になって再びこの「B層」という表現が、「愚民」との併用で使われることが多くなってきたように思う。 

 

私を含め一般国民は、間違いなく「B層」に属する者であり、国民の圧倒的大多数がこの差別的表現に含まれるグループである。

ここで、簡単に各層を見ていくと、このような分類だったと思う。



A層 財界勝ち組経営者及び役員、政治家、学者、大学教授、マスメディア(テレビ)、評論家、都市部ホワイトカラー層など。


B層 主婦層、若年層、高齢者層、地方生活者層で、この層は独自に判断するのが苦手なので、一定の指導を必要とする。


C層 IQ」が比較的高いが、社会システムへの同調性に問題がある層。

 

D層 IQ」が比較的低く、失業者や社会適合の低い層。

 

 

 

 私もブログの中で、今の民主党政権を許したのも、自民党50年体制を許してきたのも間違いなく選挙民であり、今の日本の実情に対する責任は選挙民にもあると、何度も書いてきた。

しかし、「選挙民は“B層”であり“愚民”だから過ちを続けてきた」、と言い切られると、B層を代表するような、“金や地位とは縁がなく、しかも前期高齢者とB層の資格独り占め状態” の私としては、余計なことが気になってくる。

そもそも、この階層分類は数値化することの出来ない問題を比較材料としたり、本来比較してはいけないテーマを価値感として数値化してしまうという、共産主義国が行ったのかと思うほどの未成熟な社会概念で行った、独善的で差別的な内容である。


但し、ここにきて「B層」を使う人が多くなっているということは、社会全体が警戒すべき時期に来ていることかも知れない。


悪知恵の効くやつらが裏に居て、「A層」の再評価をさせたいか、あるいは自分は「A層」と信じるものを増やすことで、全ての責任は「愚かなB層がやったこと」にしてしまうつもりなのかも知れない。

それにしても、誰が決めたか知らないが「A層」を今見ると、冗談かと思うほど国だけは任せたくない集団。

現在、世間に最も大きな迷惑をかけたり、激しく判断を誤ったりしている者たちが、殆どこの「A層」に属する者であるのは、単なる偶然なのかな?

せっかく「B層」と言われたのだから、次の選挙には「B層」の人間にだけを立候補させ、投票すると、社会が変わるかも知れない。

 

 

 

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報道の自由度 日本22位

2012/01/28 15:58

 

1月25日、国境無き記者団 (RWB:Reporters Without Borders) が発表した、2011-2012 報道の自由度指数で、日本は昨年の11位から22位へとランキングを下げています。

 

つまり、日本では「報道に対する規制が高まってる」と言うのがRWBの判断。

 

今年の19ページからなる報告書では、世界179ヶ国の報道の自由度に関するコメントが付けられていますが、日本に関しては僅か29語という、以下のような短いコメントが付けられています。

 

while in Japan (22nd) coverage of the tsunami and the Fukushima nuclear accident gave rise to exces­sive restrictions and exposed the limits of the pluralism of the country’s press.

  

22位の日本は、津波や福島原発事故に関し、過度な報道規制が行われ、報道の多様性や相違点についての許容範囲が狭められた。

 

特に福島原発事故では、いまだに 「本当は何が起きているのか?」 を知る事の出来ない外国のメディアから見て、このコメントは理解できる。

ところが、この状況を日本国民の視点から捉えると、

 

22位の日本は、津波や福島原発事故に関し、報道各社が過度な自粛を行うことで、被害の実態や事態の深刻さの程度を軽度のものへと変えられた。

 

になってしまう。

 

日本では、報道に対する規制が高まったのではなく、報道する側が積極的に実態を伝える情報量を制限していたのです。 

 

しかも、民主党政府の圧力に抗しきれずというのではなく、極めて自主的な判断により、追究するよりも政府のスキームを積極的にサポートする役割を演じていた。

 

これは真実を伝えるはずの報道による、国民へのサボタージュ。 マスメディアによる反社会的行為です。

 

日本では、報道しなくても良い自由を新聞、テレビが使い放題。

 

報道しない自由度指数では、日本がダントツ世界1位でしょう。

 

この言い方が嫌なら、記者は真実を独自に追求し、新聞への活字、あるいはテレビニュース用の読み原稿にするために自分の首をかけて会社と戦ってみたらいい。

 

日本のメディアについて長々と書くより先に、「国境無き記者団(RWB)」 の本部に対し、報道しなくても良い自由を行使する、世界的に見て極めて異質の報道集団である日本のメディアと、ニュースが生み出される独特の体質についてじっくり説明し、どこまで認識しているのかを確認してみようと思う。

 

なお、国境無き記者団 (RWB:Reporters Without Borders) が発表した、「2011-2012 報道の自由度指数」は、こちらで読むことができます。

 

http://en.rsf.org/IMG/CLASSEMENT_2012/C_GENERAL_ANG.pdf

 

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笹川良一とナベツネ、米倉の差

2012/01/25 12:51

 

日本の老害は今に始まったわけでなく、歴史の中にだって、後進に道を譲らずいつまでも地位にしがみ付き、居座る性質の悪いジジイはたくさんいた。


ただ昔は、それら身勝手ジジイの影響範囲が特定の組織や会社の中での被害に留まり、迷惑のスケールは限定的であったように思える。

 

ところが今は、全国民が一人のジジイのために迷惑を被ったり、健康被害にさらされる危険な時代となった。

 

巨大化したパワーを持つジジイが出てきたわけで無く、日本の社会システムの劣化が生み出したのが奇形モンスター・ジジイ。

 

本人が特別の才能や指導力を持っていたからでなく、会社や社会機構の不健全な成長過程で権限が集約されてしまい、成り上がったのが渡辺恒雄であり、米倉弘昌

 

これらのモンスター・ジジイのやっかいなところは、志を持って(?)モンスターになったわけではないので、判断基準が己のバックグラウンドのみでなされるということ。 つまり、会社の事情とか会社の利益とか自分のメンツという、極めてセコイ理由がその背景となる。

 

言っていることは 「わがままジジイが、身勝手な屁理屈をこねている」 だけなのに、モンスター権限で、社会に大きな悪影響を及ぼすことになってしまう。

 

悪影響という意味で象徴的なのが、産経の12月5日の記事。

 

経団連米倉弘昌会長は5日の会見で、オリンパスや大王製紙の不祥事には経団連に状況説明があったとしたうえで、「コーポレートガバナンス企業統治)より経営者の倫理観の欠如が問題だった」と指摘。 会社法の改正などが検討されていることについて「制度を変えればいいというものではない」と語った。

 

米倉の性格と経団連の体質が出ている。

 

他の記事では、米倉が「オリンパスと大王製紙は絶対に許さない。 経団連の面汚し」 と言ったというのもあるが、国民からみても、「お前がどのツラ下げて、そんな立派なことが言えるんだ!」 といったところ。


あのモンサントと提携し、遺伝子組み換え食品や発がん性除草剤をTPP締結により日本全国に普及させようと、自分たちの利益のために、はばかる事なく国民の健康を犠牲に出来るのが、米倉が会長を勤める住友化学。

 

その米倉が、オリンパスや大王製紙の不祥事には、「経営者の倫理観の欠如が問題だった」と指摘した。

 

これって狂ってるだろう。 

 

米倉の方は、人の命を危うくするかもしれないことを平然と進めておきながら、自分が会長を務める経団連加入企業の不祥事、(ましてや人の命がかかわっていない不祥事)を起した会社の経営者に対し、自分の立場を汚されたと怒り、「倫理観が欠如している」 と叱る。 

 

普通の人間だったら、こんなことしないだろう。

 

この、人間性を激しく逸脱した米倉の身勝手な主張に対し、経団連の他の加盟企業も、メディアも何のコメントもできない。

 

行動パターンと社会的な悪影響の高さ、情性欠如で、渡辺恒雄も非常に似ている。

 

なぜ、最初に笹川良一を出したかというと、今のモンスター・ジジイをみていると、妙に笹川良一が懐かしく思えてくるから。

 

笹川が死んですでに17年、最近 「悪名の棺 笹川良一伝」 という本も出版されたので、近いうちに読もうと考えているが、確かに彼は常にネガティブな、反社会的存在のような印象で見られていた。

 

しかし、彼は国民全体に影響するような危なげな政権作りの裏工作をしたことも無く、モンサントに匹敵するような、国民全体の健康に影響を及ぼすかもしれない企業の商品を全国に売ろうともしなかった。

 

競艇は確かに大きな裏権力の結果ではあるが、しかし、それから先への権力行使はしていなかった。

 

笹川良一とナベツネや米倉の差はエゲツなさの有無。

 

笹川良一とは、彼が76歳だった1975年から88歳になる1987年までの間に4度会っている。


最初に会ったのが、バングラディッシュの首都ダッカ。 1975年、ムジブ・ラーマン大統領暗殺の3ヶ月ほど前で、ラーマン政権がクーデターに脅かされ、戒厳令下に入っていた頃。

 

予定していたバンコクからのタイ航空のダッカ行き定期便が戒厳令のためキャンセルになったので、インドのカルカッタに行き、物資専用にバングラデイッシュ軍がチャーターしたビマン・バングラディシュ航空の飛行機でやっとダッカ入りした。

 

次の日の午後、バンコクからのタイ航空便が再開されたが、夕方宿泊先のインターコンチネンタル・ホテルのロビーに戻ると、驚いたことに笹川良一がスーツにネクタイ姿で若い男性スタッフを一人連れてロビーにいた。 

 

こっちは、「いつ流れ玉が来るかも知れませんので」 と言われれて、10年落ち以上のブジョーのアクセルを床いっぱい踏み込んで首をすくめたままで近郊地区を走り廻った帰りだったので、あまりにも涼しげにしているのが印象的だった。

 

その時は挨拶だけだったが、その後日本に帰ってから、当時厚生大臣だった早川崇のところへ行って初めて、笹川良一のダッカ訪問の目的が分かり、76歳でも捨てていない行動力に驚いた。

 

その後も、3度会合の席で話をしたが、笹川良一の話に共通していることがある。 それは、自分の今行っている事業については、時間をかけ、それはそれは熱心に人に伝えようとしていたこと。 

 

もちろん、くたびれたら、何の前触れも無く、話が単語の途中であっても突然話が止まるけど、それが年相応。

 

横柄さを見ることもなかったし、人を非難することもなく、政治家を含め他人の行為には一切触れなかった。

 

紳士的であったとさえいえる。

 

ナベツネや米倉をみていると、当時の笹川良一がなんともチャーミングに見えてくる。
 

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宮古島と森万理子のサブカル作品

2012/01/24 08:40

 

昨日、宮古島の友人から先週金曜日の宮古毎日新聞に掲載された記事を読むようにメールがありました。


内容は、以前にも書いた森万里子の作品について。
宮古島ではいま、森万里子の作品に賛成する人々と、反対する人々が新聞やブログを通じてコメントする数が増えているということ。

 

それはそれで、とても良い傾向だと思う。 ただ、市民が気づく前に多くが決定されているという、行政のいつもの悪いクセで、この問題も新聞発表された時には、すでに森万里子作品の宮古島の海岸への設置が決まった後。

そのような流れの中で最初の作品は既に昨年中に設置された。

 

ただ、多くの宮古島市民がその作品という実物を見て 「まさか、これなわけ?」 と驚いた。 しかも、他にも設置する作品があると聞いて、多くの市民があきれた。

 

じつは、ここが行政側の大きなミスなのだが、森万里子を “森ビルの創設者の孫娘” とか、“世界的に有名な芸術家” とか、“世界の有名人と友だち” など、本人側より出された資料だけで安易に “それが彼女の芸術家としての国際評価” と勘違いして、話しに乗ってしまった。  

 

そのうえ、このプロジェクトのために 「国内外から3億円を集めて寄付」と森万理子が言うのを聞いて、うかつに宮古島市も 522万円もの補助金を出してしまった。 (この点については、NPO 特定非営利活動法人の財務諸表は公開が原則だから、「NPOガイア・アート協会」 を友人に調べてもらう)

 

ここで森万里子ってどうなの? を2ちゃんねる風におさらいすると・・・・・

 

森万里子は確かに表現者なんだから、アーティストと呼ぶのは間違っていない。

 

森万里子は 「どんなアーティストか?」 と聞かれると、 彼女はサブカルチャー作家。

 

ところでサブカルチャー、 ウイッキペディアでは、次のように定義している。

 

 

サブカルチャー(subculture)とは、ある社会の正統的・伝統的な文化に対しその社会の一部を担い手とする文化。それは例えば大衆文化、都市文化、若者文化といったものである。
支配的な文化や体制を否定し敵対するようなサブカルチャーはカウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれる。例えば、以下のような用法がある。
社会の支配的な文化から逸脱した文化事象を指す。
絵画や純文学、クラシック音楽などのハイカルチャーに対し、娯楽を主目的とする趣味的文化を指す。サブカルと略されることもある。
漫画、アニメ、特撮作品、フィギュアといったおたく文化を指す。

 

 

このサブカルチャーを芸術ではないと言い切る文化人もいるけれど、もともと曖昧な芸術論を過大評価したがる者の思い上がり。 「だからどうした」 の世界。 

 

MoMA (ニューヨーク近代美術館)だって、時として、「ど~した~!」 みたいな作品が展示してあって、美術館の勇気を褒めるべきか、作家の思い込みの激しさを褒めるべきか迷うことがあるけれど、私に言わせると、サブカルと言うのは、自然を失ったコンクリートのビル群の間に置かれた造形物で、平面的な周囲の建造物に強く反発したような、挑発的造形とか、場違いな色彩を組み合わせたアンチテーゼ。 

 

つまり、作品のサイズに関係なく、都会のど真ん中においてこそサブカルの本質が生きてくる。

 

実は私もサブカルが嫌いなわけでなく、マーケティング手法としての面白さから、村上隆の 『芸術企業論』 を5~6年前には出張のたびに持って出て、通算3度くらいは読んでいるし、前期高齢者枠の私にだって村上隆作品でも好きなものもある。 (断っておくけど、フィギュアやあのビュ~ンと飛ばしている、「マイ・ロンサム・カウボーイ」 ではない)


そういえば、この村上隆の作品でさえ、2010年のベルサイユ宮殿美術館での展示では3ヶ月間の展示にさえ、中止を求める訴訟がなされていたほど。

 

森万里子にどんな事情があるのかは知らないが、自然タップリで余分なものを持ってくる必要が全く無い宮古島の大自然の中にサブカル作品を置くのには無理がある。

 

相当無理な関連付けをして、一定の説得材料を揃えたつもりでも、多くの人が見てどうしてもそれが異物にしか見えないのは、置き場所をまちがえているから。

 

数が増えれば更に異様な光景でしかなくなる。

 

今はスェーデンのアルサス大学の教授のようだが、社会学者の Adrian Favell がカルフォニア大学で教えていた当時、日本のオタク文化についてまとめていたものがあったが、その中でひとつ非常に上手い表現だと思ったのが、サブカルチャー・アーティストについての分析.

 

彼らを "Self-obsessed Projection",  つまり 「自己執着的投影表現」 を行うアーティストであると言った事。

Projection は、心理学的には、「自分の考え方や感じ方を無意識に他人に転嫁する」 ことであり、Favell 教授は、森万里子の活動をみてこの分析に至ったのでは思うほど、森万里子そのものの世界。

 

「自己執着的投影表現による、自分の考え方や感じ方の他人への転嫁」 は、無機質な空間でこそ幻想的であったり、インスピレーショナルに感じられるものであり、「気に入った人だけ、お入り下さい」 の世界。 

けして万人向けのものではない。 

 

しかも、宮古島での自分の活動を “アース・コンシャス(地球のためを考えて)” とか “自然との融和” といっておきながら、実態は無神経に人工造形物を自然の岩の上に立てるなどの景観の破壊行為。


サブカルチャー作品を観光地のモニュメントとして位置づけるのは、宮古島の自然を楽しみに来た人々を落胆させることでしかない。

 

自然が自然のままで楽しめる場所が少なくなった宮古島に、これ以上サブカル作品は置かないほうがいい。 

 

なお、宮古島と森万理子に関しては以前のエントリーもあります。 http://daijyobuka.iza.ne.jp/blog/entry/2453817/


この内容は、自由に転載、拡散してください。
 

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多様性を歓迎するなら、保守本流は勝てるかもしれない

2012/01/19 07:23

 

昨日のブログタイトルで「チャンネル桜の水島総社長、好きだよ!」、と書いたら友人が、「でも、あの人を批判する人も結構いるようですよ。」と言ってくれた。


確かにそのような一面もあるのだろうが、私は個人的評価として行動力、実効性の部分での判断。


本人たちは、自分の立場を明確に象徴する呼び方を持っているのだろうが、私はそれぞれの正確なタイトルを知らないので、保守本流や憂国、愛国の士たちと言わせて頂く事にして、彼らはいずれも水島社長同様、多くの批判勢力と向き合っている。 しかも、そのうちの多くは思想的論争というより、個人的な性格や人間関係での非難。
 
保守派には、個性から考えるとそれぞれ少し変だけど、面白い人がいっぱいいる。
ただ、私が気になるのはその保守派同士の非難も多いこと。

 

これは、日本人がもつ特性かもしれないが、とても几帳面な性格が、時には窮屈な結論そして人間関係へと押し込めてしまう。

「多様性を否定してはならない」というと、左翼に付け込まれる用法に近くなるので、あえて 「多様性を歓迎しよう」と言うが、方向性が同じなら拒まず手を繋ぎ天下を取るのが先。

そうする中で、新しい指導者と新しい国家運営体制を作りだす事が出来れば、それが現在の保守勢力の持つ能力であり、指導力と誇る事が出来る。

しかし、内部的にまとめることが出来なかったときは、そこが現在の保守派の人々の限界点。

今は、日本には良きリーダーとしての素質を持つ人材が育つ環境にあるかどうかの社会機能、言い換えると、日本の国家としての成熟度を国民が再確認させられている時期なのでしょうね。

 

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チャンネル桜の水島総社長、好きだよ!

2012/01/17 06:41

 

TPPへの参加を巡り、保守陣営の中でも意見が割れている所であるが、国家基本問題研究所の櫻井よしこ氏はこれを是とし、参加に向けて行動している野田首相を高く評価した­。結局対米追従から抜け出せない「戦後保守」の限界について考えていきます。
http://www.ch-sakura.jp/topix/538.html

 


チャンネル桜の水島総社長は、その行動力と、「自分の資産を投げ打ってでも日本を守るために戦っている」 本気度で好きだね。


自分たちの船で尖閣に通っているのも良い。 守るためには、行動しかない。 いまのところ、ここまでやっているのは、日本で彼ひとり。

 

その一方、桜井よしこさんも好きだが、最近では TPPでの揺れや野田首相の政策擁護発言などで、いわゆる愛国本流の考えから外れていると責められている。

 

最近のこのような動きから見えてくるのは、今の民主党政権を倒した後に出てくる国内の混乱。

 

民主党のあとに、自民党が来ると日本が正常になるなどとは誰も考えていないし、自民党でも名前はいちいち出す気は無いが、森喜郎などの “弊害のみ古参議員” と、移民1千万人受入れ推進派売国奴議員など、国家のために次の選挙で国会に戻してはいけない議員が自民党内にも最低40名いる。

 

つまり、いまのところ、直近で国を預けることの出来る国会議員があまりにも少ないということ。 それだけに、国民は国民の責任として次に国会に送り出し、日本の国を独立国にふさわしい外交政策と、国民のための内政が出来る(“任せる” ではない)人物を国会に送り出さなければならない時を迎えている。

 

しかし、国民の間でこの準備はまだ出来ていない。

 

イザブログの izahimaaru0104 さんはコメントの中で、保守系の中にある考え方の違いについて、「全ての主張が一致する人は居ません、北朝鮮の全体主義じゃあるまいし。 優先的な主張が一致すれば良いのです。」 は、私も同感。

 

理想とする国家観を作ることは大切でも、「同一方向を見ていない者は除外される」 では、国家としてのダイナミズムが失われ、国民の思想と行動に数々の制約をつけることだけで成り立つ、只の全体主義国家でしかなくなる。

 

日本の国家が、左翼や中国共産党、在日の影響を排除した保守本流で行くことに同意した者であれば、多少の揺れ幅があっても、ともに国作りをするために共闘する懐の深さが必要になる。

 

自由国家の国民に許されているのは、思考の多様化。 これから先の国家運営、指導者に求められることは、このように多様化した価値観と思想をもつ国民のために、どこまで説得力をもって日本人を感動させ、強い指導力に魅力を感じさせ、国民がともに進むことを喜びとさせられるかです。

 

ところで、多様化した価値観のことだけど、私は口は悪いが愛国者と自己評価している、50年来のクリスチャン。 靖国の合祀については敬意をもって評価するが、自ら出向いて靖国神社に参拝することはしない。

 

この私は、日本の保守本流から見ると、不都合があるのかな?
 

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今でもあなたはTPPに賛成ですか?

2012/01/16 06:48

 

日本の「軽」は不合理・廃止を…米自動車大手
読売新聞 1月14日(土)21時38分配信

 【ワシントン=岡田章裕】米通商代表部(USTR)は13日、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に日本が参加することに対する意見公募を締め切った。

 米自動車大手3社(ビッグスリー)で組織する米自動車政策会議(AAPC)は、日本の自動車市場の閉鎖性を理由に「現時点では反対」と表明し、参入障壁となっている軽自動車規格については、「廃止すべきだ」と主張した。

 今年秋の大統領選を控え、大きな雇用を生んでいるビッグスリーの政治に対する影響力は大きい。月内にも始まるとみられる日米の事前協議で自動車分野は大きな焦点で、交渉は難航が予想される。

 AAPCは、日本独自の軽自動車規格について、「市場の30%を占めているが、もはや合理的な政策ではない」と批判した。日本の技術基準や、認証制度などの規制も参入の障害になっており、透明性が必要としている。1990年代後半からの日本政府の円安誘導政策も、米国車に不利になっていると指摘した。 最終更新:1月15日(日)17時45分

 


これは昨日の読売新聞の記事。

アメリカ自動車政策会議 (The American Automotive Policy Council) の発表は昨日行われましたが、TPPというのはこういった性格のものであることを、多分多くの日本人が初めて実感したのではないでしょうか?

 

Q. 何で 「軽」 がまずいんだ?
A. あんなに小さなエンジンで高性能の自動車を、アメリカの自動車産業が作れないからです。

 

Q. 「市場の30%も占めているが、もはや合理的な政策ではない」 って・・・、何を言いたいわけ?
A. 小さくて、耐久性があって、性能が良く、しかも安い車が全体の30%も売れている日本には、デカくて、雑な作りで、価格の高いアメリカの車をもっていっても、誰も買わないでしょう。
   アメリカの車を買わせるために日本政府は、軽自動車などという、アメリカの車の販売の妨げになるものは、さっさと禁止すべきです。
   「合理的な政策でない」 とは、アメリカに不利なことはさっさと止めなさいということです。

 

Q. なぜ、アメリカにこんな余計なこと言われなくてはならないの?
A. 「それは、“プライミニスター・ノダ” がTPP にどうしても入りたいと言うから。 TPPの入りたかったって言うことは、“TPP のしきたり (つまり、アメリカの言い分) に従う” という以外の選択なんてないでしょう。 日本も空気読めよな!」 と、アメリカが言ってます。

 

つまり、TPP というのは、アメリカのために不都合な農産物から、自動車に至る貿易障壁を取り去り、金融、保険、医療の分野でもアメリカ企業にとって全てシームレス、つまり一切の阻害条件を取り除き、アメリカ企業が日本においても国内でやっているのと同じ事業環境で仕事が出来るようにすること。 

 

だから、アメリカ自動車政策会議も、まず 「日本ではまだTPPに参加する準備なんか出来ていない」 とジャブをかましておいて、「TPPに入りたいんなら、アメリカが技術的に作れない軽自動車は、日本からさっさと廃止しなさい」 との理不尽な要求。

 

第一、日本から軽自動車が無くなったら、わが家のネコの額ほどの車庫スペースにアメ車なんか置いたら、車の3分の2は道路にはみ出してしまう。 私を含め日本全国で車庫証明取れなくなってしまう車庫難民が、何千万人出ると思ってんだ。

 

それにしても、アメリカ自動車政策会議 (AAPC) も古典的な責め方をしてきた。 1月15日の WORLD TRADE ONLIN (有料版)に掲載されたAAPC の意見書には、この比較グラフがあったけど、これも日米自動車摩擦の再に必ず出てくるものと同じ手法で、アメリカの自動車産業のメンタリティとしては1970年代の日米自動車摩擦から全く変わっておらず。 「俺たちの車を買わない国は悪い国」 との単細胞思考。

 

                                     Source:  World Trade Online

 

アメリカの自動車産業は、このグラフの差が日本、アメリカともに、消費者つまり利用する人々の好みで決められた結果であることをどうしても認めたくないだけ。
日本政府は、一度だって 「アメリカ製の自動車はできるだけ買わないようにしましょう」 なんてこと言っていない。 アメ車が消費者に選ばれなかっただけのこと。


それなのに、全て日本の制度に問題があるので、自分達がその制度の犠牲になっているとの話に収めたがる。 

でも、このグラフ、アメリカ議会に提出すると、いまだに同じ古典的思考回路を持つ議員が多いので、結構有効に作用する。

 

アメリカ人には、日本の軽自動車の走りの良さなんていうのは、全く想定外。

どんな坂道だって、路地だってスイスイ。 おまけに、こんな小さなエンジンでも、クーラーだってビンビンに効いて、エンジンがオーバーヒートすることも無い。

 

体は小さくとも凄い車!

 

どうだ、ニッポンジンそのものだ!

 

さて、日本の自動車会社(特にトヨタ、ニッサン、ホンダ)に聞きたいが、いかにアメリカがお得意様でも自分達の利益を守るためだけではなく、日本の消費者を守るためにアメリカでのロビー活動を行い、軽自動車を守るために行動できますか? 

 

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