日本の老害は今に始まったわけでなく、歴史の中にだって、後進に道を譲らずいつまでも地位にしがみ付き、居座る性質の悪いジジイはたくさんいた。
ただ昔は、それら身勝手ジジイの影響範囲が特定の組織や会社の中での被害に留まり、迷惑のスケールは限定的であったように思える。
ところが今は、全国民が一人のジジイのために迷惑を被ったり、健康被害にさらされる危険な時代となった。
巨大化したパワーを持つジジイが出てきたわけで無く、日本の社会システムの劣化が生み出したのが奇形モンスター・ジジイ。
本人が特別の才能や指導力を持っていたからでなく、会社や社会機構の不健全な成長過程で権限が集約されてしまい、成り上がったのが渡辺恒雄であり、米倉弘昌。
これらのモンスター・ジジイのやっかいなところは、志を持って(?)モンスターになったわけではないので、判断基準が己のバックグラウンドのみでなされるということ。 つまり、会社の事情とか会社の利益とか自分のメンツという、極めてセコイ理由がその背景となる。
言っていることは 「わがままジジイが、身勝手な屁理屈をこねている」 だけなのに、モンスター権限で、社会に大きな悪影響を及ぼすことになってしまう。
悪影響という意味で象徴的なのが、産経の12月5日の記事。
経団連の米倉弘昌会長は5日の会見で、オリンパスや大王製紙の不祥事には経団連に状況説明があったとしたうえで、「コーポレートガバナンス(企業統治)より経営者の倫理観の欠如が問題だった」と指摘。 会社法の改正などが検討されていることについて「制度を変えればいいというものではない」と語った。
米倉の性格と経団連の体質が出ている。
他の記事では、米倉が「オリンパスと大王製紙は絶対に許さない。 経団連の面汚し」 と言ったというのもあるが、国民からみても、「お前がどのツラ下げて、そんな立派なことが言えるんだ!」 といったところ。
あのモンサントと提携し、遺伝子組み換え食品や発がん性除草剤をTPP締結により日本全国に普及させようと、自分たちの利益のために、はばかる事なく国民の健康を犠牲に出来るのが、米倉が会長を勤める住友化学。
その米倉が、オリンパスや大王製紙の不祥事には、「経営者の倫理観の欠如が問題だった」と指摘した。
これって狂ってるだろう。
米倉の方は、人の命を危うくするかもしれないことを平然と進めておきながら、自分が会長を務める経団連加入企業の不祥事、(ましてや人の命がかかわっていない不祥事)を起した会社の経営者に対し、自分の立場を汚されたと怒り、「倫理観が欠如している」 と叱る。
普通の人間だったら、こんなことしないだろう。
この、人間性を激しく逸脱した米倉の身勝手な主張に対し、経団連の他の加盟企業も、メディアも何のコメントもできない。
行動パターンと社会的な悪影響の高さ、情性欠如で、渡辺恒雄も非常に似ている。
なぜ、最初に笹川良一を出したかというと、今のモンスター・ジジイをみていると、妙に笹川良一が懐かしく思えてくるから。
笹川が死んですでに17年、最近 「悪名の棺 笹川良一伝」 という本も出版されたので、近いうちに読もうと考えているが、確かに彼は常にネガティブな、反社会的存在のような印象で見られていた。
しかし、彼は国民全体に影響するような危なげな政権作りの裏工作をしたことも無く、モンサントに匹敵するような、国民全体の健康に影響を及ぼすかもしれない企業の商品を全国に売ろうともしなかった。
競艇は確かに大きな裏権力の結果ではあるが、しかし、それから先への権力行使はしていなかった。
笹川良一とナベツネや米倉の差はエゲツなさの有無。
笹川良一とは、彼が76歳だった1975年から88歳になる1987年までの間に4度会っている。
最初に会ったのが、バングラディッシュの首都ダッカ。 1975年、ムジブ・ラーマン大統領暗殺の3ヶ月ほど前で、ラーマン政権がクーデターに脅かされ、戒厳令下に入っていた頃。
予定していたバンコクからのタイ航空のダッカ行き定期便が戒厳令のためキャンセルになったので、インドのカルカッタに行き、物資専用にバングラデイッシュ軍がチャーターしたビマン・バングラディシュ航空の飛行機でやっとダッカ入りした。
次の日の午後、バンコクからのタイ航空便が再開されたが、夕方宿泊先のインターコンチネンタル・ホテルのロビーに戻ると、驚いたことに笹川良一がスーツにネクタイ姿で若い男性スタッフを一人連れてロビーにいた。
こっちは、「いつ流れ玉が来るかも知れませんので」 と言われれて、10年落ち以上のブジョーのアクセルを床いっぱい踏み込んで首をすくめたままで近郊地区を走り廻った帰りだったので、あまりにも涼しげにしているのが印象的だった。
その時は挨拶だけだったが、その後日本に帰ってから、当時厚生大臣だった早川崇のところへ行って初めて、笹川良一のダッカ訪問の目的が分かり、76歳でも捨てていない行動力に驚いた。
その後も、3度会合の席で話をしたが、笹川良一の話に共通していることがある。 それは、自分の今行っている事業については、時間をかけ、それはそれは熱心に人に伝えようとしていたこと。
もちろん、くたびれたら、何の前触れも無く、話が単語の途中であっても突然話が止まるけど、それが年相応。
横柄さを見ることもなかったし、人を非難することもなく、政治家を含め他人の行為には一切触れなかった。
紳士的であったとさえいえる。
ナベツネや米倉をみていると、当時の笹川良一がなんともチャーミングに見えてくる。